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骸骨堂(Kostnice)



     クトナー・ホラ(Kutná Hora)町郊外のセドレツ区(Sedlec)は、その区にある墓地や骸骨堂の「全聖人教会(Kostel všech svatých)」によってとても有名になりました。
    伝説によると、1278年に当時のセドレツの大修道院長が、聖地エルサレムのカルヴァリ(イエズスが十字架に架けられたとされる場所)から一握りの土を持って帰りました。大修道院長はその土を復活の象徴として全ての埋葬者のために墓地に播きました。このような理由からその後墓地の名は多くの人の間に広まり、セドレツ近郊からだけでなく、近隣諸国のポーランド、ドイツ、ベルギーからも死後ここで埋葬されることを願う人たちの数がたちまちに増え、埋葬者が後を絶ちませんでした。
    1348年には、ボヘミア王国で疫病が流行りました。そしてその時に亡くなった3万人にのぼる犠牲者がこの墓地に埋葬されました。15世紀に勃発した宗教戦争の際にも、クトナー・ホラ町の周辺で戦士した人々をこの墓地に埋葬しました。そして同じ頃、修道士は当時の墓地を現在の墓地がある場所へ移しました。そして1511年に盲目の修道士によって、人骨の山は四つのピラミッドに並べ変えられました。
    17世紀末期にはサンティーニ(J.B.Santiny)建築家によって骨のピラミッドの上に現在の全聖人教会が建てられました。サンティーニ建築かも近くにある修道院の聖母マリア教会(Kostel Nanebevzetí Panny Marie)を建設されました。この教会は、「バロックのゴシック」というサンティーニ氏の独特な建築スタイルがふんだんに盛り込まれています。1787年にヨゼフ二世によって修道院が閉鎖された後、墓地や骸骨堂及び全聖人教会はシュヴァルツンベルグ(Schwarzenberk)家によって買収されました。そして1870年に、教師のリント・フランチェスコ(František Rint)という人物によって新たに人骨から作った装飾品がこの骸骨堂に追加されました。彼は蝋燭台、シュヴァルツンベルグ家の紋章、ティーカップ、シャンデリアなどを全て骨から作製しました。骸骨堂で一番見ごたえのあるのはシャンデリアです。そのシャンデリアは人体のあらゆる骨を使って作られたものです。
   ユニークな骸骨堂及び建築的に興味深い全聖人教会は、こうして世界的に有名になると共に、クトナー・ホラ町と同様1996年に世界文化遺(UNESCO)に登録されました。


骸骨寺

教会のインテリアー
所要時間:約30分
11月-2月   9:00 – 16:00
4月-10月   8:00 – 18:00
10月と3月   9:00 – 17:00
無し
大人:50コルナ
子供や年寄り:30コルナ
5コルナ 0,3 km、有料 1,5 km 1 km

聖母マリア教会(Kostel Nanebevzetí Panny Marie)

教会のインテリアー
所要時間:約30分
4月-10月   9:00 – 17:00
日曜日  12:00 – 17:00
無し
大人:70コルナ
子供や年寄り:40コルナ
5コルナ 0,3 km、有料 0,5 km


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