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1938 -

   メンツェルは1938年2月23日プラハで生まれたチェコの映画監督、俳優、作家です。父親は作家であり脚本家のヨセフ・メンツェル。
   1962年にプラハのFAMU (Filmová a Televizní Fakulta Akademie Múzických a Umění v Praze)を卒業(専攻は演出)しました。「アマデウス」等で有名な監督ミロシュ・フォルマンらと共に1960年代のチェコ映画界の「ニュー・ウェーブ」の一人でありました。彼の初長編映画「運命を乗せた列車」(1966年、原作ボフミル・フラバル)でいきなり米国アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞しました。彼はこの時まだ28歳という若さでした。
   メンツェルはミロシュ・フォルマンと並び世界的に有名なチェコ人映画監督ではありますが、フォルマンがアメリカへ亡命しハリウッドへ活躍の場を求めた一方で、メンツェルは国に残りチェコ映画を撮り続けてきました。
   1969年には再びフラバル原作の「Skřivánci na niti」を撮影しましたが、残念ながら時は共産主義を批判する内容だったため政府の圧力で撮影を中断させられ、メンツェル自身も以後5年間映画の撮影を禁じられてしまいました。本作品は1989年の民主化後ようやく完成の運びとなり、無事公開されました。
   1970年代からは舞台演出にも積極的に取り組んでいます。1995年からはヴィノフラディ劇場の舞台監督も務めています。演出業の一方で俳優としての出演作品もかなりの数に上ります。
   また1985年には「スイート・スイート・ヴィレッジ」でもアカデミー賞にノミネートされました。ちなみにこの「スイート~」は2006年、インターネット投票によりチェコ人が選ぶチェコのコメディ映画ナンバー1に選ばれました。
    チェコで最も人気のある俳優兼脚本家のズデニェク・スヴェラークとのコンビ作が多く、「スイート~」のその内の一つです。
   その後も精力的に映画を撮り続けましたが1994年以後は沈黙してしまいます。本人によると「社会主義時代に生まれたのでお金を請う術を知らないから…」と資金繰りに苦しんでいたようです。
   そして12年の沈黙の後、待望の最新作は再びボフミル・フラバル原作の「Obsluhoval Jsem Anglického Krále(直訳:私は英国王に仕えた)」。ナチス、そして共産主義に翻弄された一人のウェイターの人生を描いた本作品は公開直後から大ヒット、そして2006年度のチェコ映画賞(チェスキー・レヴ)を作品賞、監督賞など4部門で受賞しました。



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