カレル四世(Karel IV.) チェコ共和国の情報

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カレル四世(Karel IV.)



1316 - 1378

    カレル四世の父であるルツェンブルスキー・ヤン(Lucemburský Jan 1296-1346)は、1310年ににプシェミスル家のエリシュカ姫(1292-1330)と結婚し、同年にはボヘミア王国の王位に着きました。カレル四世の本来の名前はヴァーツラフでした。その名前は洗礼にて授かったものですが、1323年の堅信礼を授かりカレルと改名しました。
   カレル四世は1323年から1333年までフランスで教育を受けました。フランス語、イタリア語、ラテン語、ドイツ語をフランスで習得し、ボヘミア王国に帰った後はチェコ語も学習しました。1341年にボヘミア王国の王位に着き、1344年にプラハの司教を大司教に昇格させ、大司教のためにプラハ城の聖ヴィート大聖堂建設を着工させました。1345年に世界にまれな聖ヴァーツラフ王冠を作られました。その王冠は戴冠式にボヘミア王国になった王様がもらって使えられました。1346年にはローマ皇帝に選出されました。カレル四世は、プラハ城プラハの町を自分の帝国の中心として再建し、プラハをどんどん発展させていきます。1348年にはプラハ新市街が創設され、同年にカレル大学も創立されました。この大学は中央ヨーロッパで最も古い大学に当たります。そして1357年には有名なカレル橋の建設が始まりました。カレル王はその後1355年にイタリアに赴きました。そしてミラノでイタリアの王位に着き、その後ローマで神聖ローマ帝国の皇帝の座に着きました。
   この様に、カレル四世はプラハ及びチェコ各地に様々な美しい建物を築かせました。その例として、プラハ近郊のユニークなカレルシュテイン城とそのお城である聖十字架礼拝堂が挙げられます。さらに伝説によれば、カレル四世はカルロヴィ・ヴァリ温泉町を創設したとも言われています。
   カレル四世の生涯を少し除いて見ましょう。カレル四世は生涯に四度も結婚を行っています。一番最初は1323年にフランスのワロアー出身の王女ブランカと7歳の時に結婚しました。ブランカは1348年の出産の際に亡くなりました。
   次に1349年にカレル四世はドイツの王女ファルツカー・アナと結婚しました。しかし二番目の王妃も1353年に早々と亡くしてしまい、そして同年にはスヴィドニツカー・アナと結婚しました。1361年にアナ王妃との間に将来の王ヴァーツラフ四世が生まれました。1362年にカレル四世の3番目の妻スヴィドニツカー・アナは亡くなり、1363年にカレル四世は四度目の結婚を執り行いました。カレル王の最後の妻となったのはポーランドの王女ポモランスカー・アルジュベタにです。カレル四世は四人の妻との間に合計12人の子供を儲けました。
      カレル四世の時代にボヘミア王国は輝かしい発展を遂げました。カレル四世はいつの時代でもチェコ人から親しまれ、そして尊敬されてきました。カレル四世の像や絵を様々な場所で見ることが出来るのもそのせいです。身近なものを挙げると、私たちが日頃使う100コルナのお札にも、カレル四世が印刷されてます。



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