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ハシェック・ヤロスラフ(Hašek Jaroslav)



1883年4月30日-1923年1月3日

    ハシェク・ヤロスラフはチェコの作家、そしてジャーナリストです。彼の最も有名な作品は「善良な兵士シュベイク」シリーズです。この作品は60ヶ国語以上に翻訳されています。
     ハシェクはプラハで生まれましたが頻繁に引越しをしたために、彼には故郷や家という場所がなく、それが彼の人生にも影響し、生涯「ボヘミアン(自由奔放、放浪的)」な暮らしをしました(歩いて東ヨーロッパを旅するなど)。13歳のときに父が亡くなり、家計が苦しくなったこともあり15歳で高校を中退し薬剤師になります。しかし最終的には無事ビジネス・スクールを卒業しました。その後銀行で働き、犬を売る仕事もしました。この時の逸話はシュベイクにも出てきます。
   彼は20代の前半は無政府主義に傾倒し、無政府主義雑誌Komuna (コムナ)の編集者になりました。そのため警察にマークされ、公共物破壊や警察官への暴行等でも逮捕され、投獄もされました。
   マイェロヴァー・ヤルミラと恋に落ちますが、彼のボヘミアンな生活スタイルや政治思想を嫌った彼女の両親には認めてもらえなかったため、これがきっかけとなって彼はアナーキズムから足を洗い、作家としてやっていきます。そして1年間で64本もの短編を書いたり、雑誌「Svět Zvířat(動物の世界)」の編集長を務めたりと精力的に仕事をします。
      1910年に念願叶いヤルミラと結婚しますが、やはり残念ながら三年も持ちませんでした。
   第一次世界大戦が始まってから1915年にハシェクは陸軍に入隊します。シュベイクに出てくるキャラクターの多くはこの戦争で出会った人をベースに書かれています。意図的に入隊のことを誰にも言わなかったためしばらくの間「行方不明」扱いになってしまったそうです。
    1916年からはチェコスロヴァキア軍に入り、1918年にはロシアに渡りチェコ社会民主主義党員になり、赤軍にも加わります。なぜ彼が無政府主義から社会主義へと考えを変えたのかは一切話しませんでした。この時ロシアで再婚しました。1920年にプラハに戻り、また「ボヘミアン」な生活を送ります。その後病気と超肥満になり執筆不可能になりながらも口述でシュベイクを書き続けます。そして1923年1月3日、リプニツェで亡くなりました。その時まだ39歳でした。シュベイクも未完のままになりました。
   ハシェクは最初は旅行記、エッセイ、コメディをよく書きました。その多くは映画化もされました。彼の死後発表された作品もたくさんあります。彼の作品は実体験に基づいていると言われていますが、どこまでが本当でどこが脚色かは分かっていないため、彼の人生についても未だによく分かっていません。彼が文学のスタイルや法則を無視して書いたことも彼の作品の特徴です。
   ちなみにチェコには彼の名前の付いた列車があります。彼やシュベイクの名前のついた小惑星もあります。



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