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チェコと日本



   チェコと日本の関係は、過去を遡って見てみると、とても長い歴史を持っていることが明らかになります。その始まりは、1400年頃にマルコ・ポーロによって記された「ミリオーン」という名の本が、チェコで出版されたことに始まります。この本の中で、マルコ・ポーロは日本を「黄金の島国」と呼んで、その様子を事細かに記述しています。
16世紀には、キリスト教の宣教師の手紙を掲載した本などを収めた書簡四冊が、チェコで出版されました。また、当時のイエズス会によって、多数の芸術作品が生み出されました。そういった作品は、現在も当時のまま残っています。例えば、カレル橋にある聖フランシスコ・ザビエル像の横には、日本人だろうと思われる人物が刻まれています。17世紀のヨーロッパ人の間で考えられていた日本人の像がここに現れています。

プラハ城にある聖ヴィート大聖堂には、オクタヴィアーン・スピノラという人物の墓石があります。彼の息子であるカレル・スピノラは、宣教師として日本に渡り、1622年に長崎で火刑に処されました。
   17世紀から18世紀にかけては、ヨーロッパで東洋から渡った品物が人気を博し、チェコの貴族たちも、日本製の陶器や漆などの美術品の収集に励みました。現在でも、チェコ各地のお城などで、これらの美術品を見ることができます。
   さて、19世紀末からチェコ人が頻繁に日本に旅行するようになりました。そのおかげで、チェコで日本旅行記が出版されました。「旅行記(著者Kořenský Josef)」は、人気を集め、現在では古本屋でしか見つからないとても貴重なものとなっています。ヨゼフ・コジェンスキーによる「明治のヤポンスコ・ボヘミアンの日本観察記」と題する本(鈴木彦訳・東京・サイマル出版会)が日本語で出版されました。また、1904年には、チェコ語に訳された「武士道」という本が、チェコで出版されました。
   第一次世界大戦後に、オーストリア帝国から独立したチェコスロバキアは、共和国として新しいスターとを切りました。1920年代には、チェコと日本の経済的協力が進められました。当時から、大相撲に優勝した力士には、ボヘミアングラスが在日チェコ大使によって贈呈されています。
   第二次世界大戦後は、再びチェコスロヴァキアと日本の交流が推進され、特に音楽の分野で交流が盛んになりました。プラハのカレル大学には、日本語学科が設立され、多数の書籍が日本語からチェコ語へ翻訳されるようになりました。共産主義崩壊後には、両国の関係を一段と強める交流が盛んになりました。チェコを訪れる観光客が増えると共に、日本企業の進出や留学などの目的でチェコに滞在する長期滞在者も年々増えています。
   チェコフィルハーモニー管弦楽団、チェコ少年少女合唱団、チェコ国立歌劇場の公演が日本でも行われています。プラハと京都をはじめとする姉妹都市間の交流にも、目に見張るものがあります。チェコにおけるチェコ日本友好協会の活動も段々と盛んになりました。年に四回「心」と題する雑誌が発行されています。平成12年には、美智子様によって書かれた「初めての山登り」という本も出版されました。
   また、プラハの日本文化センター設立後は、茶道、生花、書道、日本語などの講座が開講されました。そこでは、日本の芸術に関する講演も広く行われています。東京にもチェコ文化センターを設立されてチェコの文化や芸術を日本人に招待します。
    1932年に、高松宮様がチェコを訪問されました。また、平成19年の7月6日から9日にかけては、天皇皇后両陛下がチェコを訪問されていました。



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